整形外科医の目から見ると、今は働く人々の首や肩、腰にかかる負担はどんどん大きくなっている時代です。
その象徴がコンピュータ。どんなオフィスをのぞいても、デスクに座ったまま長時間、コンピュータとにらめっこする人が増えてきました。家庭にあっては、子どもがコンピューターゲームに没頭したり、主婦がインターネットに夢中になったり。学生が勉強する光景も、ひと昔前とはずいぶん変わってきました。勉強机の上にどんと鎮座しているのは、辞書でも、参考書でもなく、決まってコンピュータです。現代はコンピュータとしてなしでは夜も日も明けない時代になってしまいました。
そして「ITストレス」という新たな症候群が誕生しました。これは、主にコンピューターの長時間使用が引き起こす症状や体調不良の総称で、腰痛、肩こり、頭痛といった整形外科関係の症状が目立ちます。
現代はまた、多くの分野で男女の性差が消えつつある時代です。仕事の面でも、以前は男性の仕事という印象の強かった重労働の分野に、どんどん女性たちが進出するようになりました。これは喜ばしい傾向ではありますが、もともと女性の身体は、男性と比べて骨格も筋肉も華奢につくられています。男性と同じ肉体労働をすれば、肩にも腰にも無理がかかるのは当然でしょう。
そのうえ、夏になればエアコンの効きすぎた室内が冷えによる血流障害をもたらし、運動不足が筋力をさらに弱め、外食中心の食生活が栄養不良や肥満の原因となり……。結局は男女の別なく、疲労が蓄積します。そうした身体疲労は夕方から夜にかけてピークを迎えるわけですが、それでもがんばって残業したり、ナイトライフを楽しんだり、深夜までテレビを観たりして、最後は文字どおりベッドに倒れ込む。しかし、日中の疲労を引きずったまま不適切な寝具で横だわっても、けっして回復は図れません。
本来、横たわるのは、脊椎動物にとって唯一、脊椎に負担のかからない姿勢です。脊椎動物のなかでも、2本足で立ち上がって活動する人間の場合、重い頭部を支えるため、ただでさえ首の骨(類推)や背骨、腰の骨(腰椎)に大きな負荷がかかっています。とくに頚椎には常時6~8キロもの重みがかかり、それを支えているのが抗重力筋という筋肉です。
大きな負担から骨や筋肉を解放してゃるには、静かに横だわってゆっくり休息するほかありません。さらに、休息中も大きな寝返りと小さな寝返りを存分に打って、血液やリンパ液、関節液などの体液をまんべんなく循環させることで、ようやく疲労は回復。心身ともに
すっきりとリセットされた状態になるのです。
ところが、ベッドのスプリングが軟らかすぎたり、逆にフローリングの床に薄い敷布団だけで硬すぎたりすると、せっかく横になっても背骨や腰椎を解放してやることができません。むしろ、さらなる圧力がかかってしまいます。枕の高さが合わなければ、類推が無理な
角度で折れ曲がり、その影響が背骨や腰椎、腕の神経にまで広かっていきます。
じつは、背骨全体の傾きは、ほんのわずかな首の角度で影響を受けます。つまりこれは枕の高さで決定するわけです。私たちの睡眠に影響を与える物理的な条件はたくさんありますが、なかでも枕は、もっとも単純で、直接的で、影響力の大きい要素なのです。
私は、整形外科医として多くの患者さんたちと接し、治療をおこなう過程で、肩こりゃ頭痛、手のしびれ、不眠、いびき、無呼吸といった諸症状を引き起こす大きな原因が枕にあることを確信するようになりました。言ってみれば「枕障害」です。自分の不眠や体調不良の
正体が枕障害であることに気づかず、同じような睡眠を続けていけば、やがては正真正銘の病気になってしまうでしょう。
さあ、明日の朝、目覚めたら、何はさておき自分の枕をチェックしてください。頭の形にへこんでドーナツ形に変形してはいませんか。布団からはみ出したり、ベッドから落ちたりはしていませんか。もし、そんな状態だったら一大事。あなた自身がひと晩中、枕と格闘し
ていた証拠です。その枕が原因で、あなたの熟睡が奪われ、身体と心の健康が蝕まれている可能性があります。
毎朝、さわやかな気分で目覚めるためにも、元気一杯の毎日を過ごすためにも、あるいは内服中の睡眠薬や頭痛薬を減量するためにも、枕障害を克服し、快適な眠りを取旦戻す方法を一緒に考えていきましょう。
お祭り騒ぎのような「眠り売ります」合戦の行き着く先は、みんながぐっすり眠れる幸せな社会なのでしょうか。ほんとうにそうなら、めでたしめでたしです。ところが実際には、不眠症に苦しむ人は増えるばかり。ガンの早期発見法や早期治療法が確立されてもガン患者が増え続けるように、あるいは、人々の健康志向がいく亘局まっても高血圧や糖尿病といった生活習慣病患者の予備軍が後を絶たないように。宣]の問題はほかにある、どこかにハッピーエンドに終わらないからくりが潜んでいるように感じられてなりません。
少なくとも、精神的、心理的な不眠症に悩む人たちにとって、快眠市場拡大にともなう情報の氾濫はけっして福音とはなりえません。その象徴が、枕放浪者の増加です。
「枕放浪者」とは、安眠や快眠を求めて毎月のように枕を買い替える人のことです。私たちの診療所に相談に見える患者さんのなかにも、それまでに10個も20個も枕を買い替えたという人がいます。だけど、どんな枕を使っても満足できる眠りを得られない。だから次々に新しい枕を買うのです。不眠に苦しむあまり、何かにすがりたい、何でもいいから試してみたいという気持ちが嵩じて、安眠情報の海を必死で泳ぎ回っているかのようです。
これこそ情報過多社会の落とし穴と言うべきでしょう。しかし、整形外科医の立場から言えば、「枕」に目をつけたところは正解です。少なくとも、枕放浪者の方々は「不眠の原因が枕にあるかもしれない」ことに気づいているからです。
さあ、ここからかいよいよ枕のお話です。
2002年から2003年にかけて、私たちの診療所では来院した患者さんに対し、簡単なアンケート調査を実施しました。
「今、お使いの枕に満足ですか」
その結果、「満足」と答えた人はI2パーセントのみ。「どちらとも言えない」が28パーセント。そして「不満」と答えた人が60パーセントもいました。
私たちは「不満」と答えた方たちに適切な枕の条件を説明し、座布団とタオルケットでつくる、例のせんべい座布団枕のつくり方を指導しました。そして数日たってから、もう一度、質問してみたのです。
「現在の自分の睡眠に満足ですか?」
今度は、じつに76パーセントの方が「満足」と回答しました。せんべい座布団枕を使う前と比べて、眠りが改善したのです。続けて、具体的にどう改善したかを尋ねてみると、おっしやることは人それぞれです。
いかがでしょう。こうした言葉から、眠りにおける枕の重要性がよくおわかりいただけるのではないでしょうか。
枕は、睡眠中、頭をのせるだけの寝具ではありません。睡眠中の私たちの姿勢、つまり寝姿勢に大きく影響する、もっとはっきり言えば、寝姿勢を決定づけるものです。起きて何かをしているとき、無理な姿勢を長時間続ければ、身体のふしぶしが痛くなったり、こり固まってつらいものではありませんか。眠るときも同じです。苦しい姿勢で眠れば、ぐっすりと眠れないのは当然のこと、疲労もとれないし、脳内の情報整理もうまくいきません。それどころか、長く眠れぱ眠るほど、心身に悪い影響を与えることになってしまいます。
人間の身体的コンディションと精神状態は相互に影響し合っています。だから、質の良い睡眠のとれなかった翌朝は、疲労を感じて身体がだるいばかりでなく、気分が憂麓でやる気が起きません。そうした状態が続けば心も身体も悪循環に陥り、頑固な不眠症が形成されていくのです。
長い間、不眠に苦しんでいた人たちがようやく満足できる眠りを得たとき、決まって口にする言葉が「熟睡」です。
「昨夜は久しぶりに熟睡できました」
こんな報告をくださるとき、彼らの笑顔はほんとうに明るく、晴れ晴れと輝いているものです。肩こりゃ頭痛を訴えていた人も、いびきに悩んでいた人も、朝は身体がだるくてなかなか起き上がる気力が湧いてこないと語っていた人も、そんな悩みは一夜にして解消してしまったよう。そして、さらにうれしそうな顔で言うのです。
「なんだか身体の調子がよくなり、やる気が出てきました!」
熟睡はさまざまな形で私たちの心身にポジティブな影響を与えます。なかでも熟睡がもたらす究極の効果といえば、自律神経の調整でしょう。
自律神経は本人の意思とは関係なく、身体の機能を調節する神経だと述べました。もう少し詳しく言えば、その働きは交感神経と副交感神経という2つの神経のバランスによって調節されています。
「交感神経」をひとことで言うなら、私たちを「やる気モード」にする神経です。勉強でも、仕事でも、趣味でも、とにかく何かに一生懸命取り組もうとするときに働く神経で、脳にどんどん血液を送り込み、心身の適度な緊張状態をつくって活動的にしてくれます。
一方の「副交感神経」は「リラックス状態」をもたらす神経です。私たちが興奮したり、緊張したときに心を鎮めようとする0もこの神経ですし、疲れた心身を睡眠に導いてくれるのもこの神経です。
このように、交感神経と副交感神経は正反対の作用をもつ自律神経であり、両者は私たちの脳や脊髄の内部でつねに拮抗しながら働いています。交感神経が強く作用しているとき、私たちは活動的で、精力的で、ときには攻撃的にもなりますが、副交感神経が優勢なときには心身ともに静かで落ち着いた状態になります。
言ってみれぱ、自律神経とは電化製品や機械類の「オン・オフ」スイッチのようなもの。私たちの心身も、必要に応じて切り替えられなくなったら故障と同じです。切り替えがうまくいくときが心身ともに調子の良い状態。うまくいかなければ、体調不良。緊張の連続で過
度のストレスがかかったり、逆にだらだらとやる気のない状態から抜け出せないことになってしまいます。
そんな状態が漫然と続けば、だるさや倦怠感、めまい、動悸、食欲不振、異常な汗かき、ほてりや冷感、身体の各部の痛みなど、あ りとあらゆる不調が生じてくるでしょう。少なくとも一つや2つ、ときにはいくつも同時に……。
これらの症状の多くは、自律神経の調節機能が変調をきたすために起こります。そして、ここがとくに重要なポイントなのですが、自律神経の働きは睡眠と密接に関係しています。
睡眠中、とくにノンレム睡眠中には副交感神経の働きが充進するため、十分なノンレム睡眠を確保すれば、前日の疲労も緊張もすっきりと解消されます。副交感神経にしてみれば、立派に仕事を終えたわけですから、覚醒時にはすみやかに交感神経に舵を渡す。スイッチがきちんと切り替わり、交感神経が活発に働き始めます。つまり、朝起きた瞬間から「やる気モード」がオンになるのです。
これこそが、熟睡のもたらす究極のポジティブ効果です。朝になれば心身のすべてがリセクトされ、新たな一口を迎える準備が整っているということです。逆に言えば、睡眠中に前日の疲労やさまざまな不具合が改善され、リセットできるようでなければ、十分に眠ったことにはなりません。
ノンレム睡眠は脳の休息です。ヒトのような高等な動物では、知情意(知性、感情、意思)といった複雑な脳機能を司る大脳皮質が発達していますが、この大脳皮質を十分に休ませ、エネルギーを回復させることがノンレム睡眠の目的です。ですから、高等動物ほどノンレム睡眠が発達しています。
自律神経の状態を見ても、ノンレム睡眠中は心身をリラックスさせようとする副交感神経が活発になり、振動数のゆるやかな脳波が現れます。そしてノンレム睡眠時には、レム睡眠時よりも目覚めにくいという特微かあります。
ノンレム睡眠は深度によって4段階に分類されていますが、通勤電車内でよく見かける、居眠り中のサラリーマンを思い浮かべてください。ノンレム睡眠の段階1から段階4までを身体で表現しています。
まず睡眠段階1では、眠っているように見えても、電車が最寄りの駅に着いた瞬間に目を覚まし、何ごともなかったように降車するでしょう。脳が眠っているとはいっても、きわめて浅い眠りだからです。睡眠段階2になると、首を保持することができず、隣の女性に頭を
もたれてみたり、押し返されてしかたなく窓に頭を預けたりしながら眠っています。それでも、車内アナウンスだけは聞こえているので、最寄り駅に着いたら自分で目を覚まします。つまり睡眠段階2も、比較的、浅い睡眠ということができます。
ところが睡眠段階3になると、かなり眠りが深くなるため、最寄り駅に着いても自分では起きることができません。何駅か乗り過ごしてしまってから、はっと目覚めて周囲をきょろきょろ見回すといった状態です。そして睡眠段階4では、終点に着くまで熟睡が続き、駅員さんに「起きてください」などと揺り起こされるまで、まったく気づくことがない。それどころか、起こされてもしばしの間、きょとんとしたままで状況を把握できなかったり、瞳孔が拡大しているため天井の明かりがまぶしくて目をしばしばさせることもあります。ノンレム睡眠が深いということは、それだけ目覚めにくい状態にあるということなのです。
さて、人間の眠りにはまったく性質の異なる2つの睡眠かおることがおわかりいただけたと思います。睡眠のメカニズムとしてさらに興味深いのは、この2つの睡眠時間の配分が、その人なりの睡眠時間の長短によって変化するという事実です。
人間すべてに共通する、最適な睡眠時間は決まっていません。個人差が大きいためです。毎日八時間以上眠らなければ体調が悪いという人もいれば、五~六時間で十分だという人もいます。しかし、八時間眠る人も、五時間しか眠らない人も、ノンレム睡眠時間には大きな違いがありません。違うのはレム睡眠の時間なのです。つまり、睡眠時間の短い人は、レム睡眠を削ってノンレム睡眠を確保し、脳を休息させていることがわかります。
現在の段階では、まだレム睡眠についても、ノンレム睡眠についても、すべてが解明されたわけではありません。しかし、レム睡眠を削ってまで確保しなければならないノンレム睡眠には、それだけ重要な役割かおるはずです。たとえば、疲労の回復や子どもの成長に必要な成長ホルモンが大量に分泌されるのもノンレム睡眠中なのです。
一方、レム睡眠にもノンレム睡眠では代替のきかない特殊な機能があると考えられています。いかに脳の発達した高等生物とはいえ、私たちはやはり動物なのですから、身体の健康も脳の健康と同じように大切なもの。そのためには、一日の終わりに身体を存分に休ませる正しい睡眠が不可欠です。
結局、私たちが健康に生きるためには脳と身体にとってバランスのよい睡眠が必要であり、そうした眠りこそが私たちの求めてやまない「熟睡」、つまり、睡眠時間の長短だけでは測れない、質の高い睡眠なのでしょう。
私たちの睡眠には、まったく性質の異なる2つの種類かおるということです。
一九五三年、米国の科学者であるアゼリンスキーとクライトマンは驚くべき事実を発見しました。人間が明らかに眠っている最中にも、眼球だけはきょろきょろと動いていることかあるのです。「レム」と呼ばれる急速眼球運動です。2入は、そうした睡眠を「レム睡眠」、そうでない睡眠を睡眠と呼ぶことで、明確に区別することにしました。
なぜ区別する必要があるのでしょう。じつはレム睡眠とノンレム睡眠では、眠っている場所が異なるからです。レム睡眠では身体が眠り、ノンレム睡眠では脳が眠っています。
レム睡眠とノンレム睡眠は、通常、ひと晩の眠りの間に4~五回ずつ繰り返されています。そのうち、身体の眠りであるレム睡眠は、全睡眠時間の約25パーセント。この間、私たちの脳は運動指令を遮断し、筋肉の緊張を解除することで、身体に十分な休息を与えます。しかし、脳自体が休んでいるわけではありません。日中に体験したさまざまな情報を記憶の一時的な貯蔵庫から呼び出し、合成し、定着させようと、活発に働いているのです。交感神経も緊張して、脳に血液をどんどん送り込んでいます。
ですから、新しい体験をたくさんした日には、レム睡眠は長くなると言われます。また、知能指数(IQ)の高い子どもは、普通の子どもと比べてレム睡眠の時間が長いという報告があります。身体が眠っている間に処理しなければいけない仕事がそれだけたくさんあると
いうことでしょう。
しかし、レム睡眠中には自律神経の乱れが起こりやすいという特徴もあります。自律神経とは、本人の意思と関係なく体内組織の機能を支配し、調節する神経のことです。この働きが変調をきたすと、心拍数や呼吸回数が不規則になり、心臓病や脳血管障害の引きがねとなることかあるので、成人の場合には注意を要する睡眠でもあります。
生物の身体のなかで、睡眠と覚醒をコントロールする司令塔は脳です。以前には「脳のなかの覚醒中枢(意識を維持する部分)が休んでいる状態が睡眠である」と考えられた時期もあじました。しかし現在では、「脳内に睡眠中枢かおり、その働きによって生物は眠る」と考えるのが定説になっています。
睡眠を調節するメカニズムには、2つの機構があります。ひとつは恒常性維持機構、もうひとつは体内時計機構。少しむずかしい言葉ですが、「恒常性」というのは、体内を一定の状態に保って生命を維持しようとする働きです。
日中、私たちが目覚めた状態で活動していると、体内に睡眠促進物質がたまり、それが引きがねとなって眠くなってきます。しかし、眠り続けるようなこともありません。このように、睡眠と覚醒が交互に訪れるよう保っているのが恒常性維持機構です。この働きは時刻とは関係なく、覚醒していた時間の長さ、すなわち睡眠不足の度合いによって決められます。睡眠が足りないときほどメカニズムが強く作動し、長く、深く眠ろうとするわけです。
一方の体内時計機構は、時刻依存性のシステムです。十分に眠った翌日でも、夜になって一定の時刻になると、自然と眠気がやってくる。これは、睡眠が始まるタイミングを、私たちの脳のなかにある体内時計が管理しているからです。
体内時計が刻む時間は、驚くほど正確です。目覚まし時計をセットしておいても、アラームの鳴る数分前になると自然に目が覚めるという方は多いでしょう。また、日中には眠気を感じていたのに、夜になるとなぜか頭が冴えてくるという人も少なくはないはずです。体内時計がその人の毎日の生活リズムを正確に記憶し、睡眠と覚醒のスイッチを切り替えているからです。
しかし一方、体内時計はたいへん繊細です。さまざまな刺激や条件によってズレを生じたり、微妙なズレを修正したりしています。刺激となるものは食事や運動、疲労、精神的ストレスなど数限りなくありますが、もっとも大きな要素は光です。まぶしい朝日、夕暮れどきの薄れゆく光、チカチカとまぶしい繁華街のネオン、そして寝室の照明……。こうした光がすべて体内時計を狂わせる要因となります。
不眠症や時差ぼけの改善薬として、メラトニンという物質が注目されたことかあります。メラトニンは脳の松果体という部分で分泌されるホルモンですが、おもしろいことに光の刺激とちょうど逆の働きをしています。夕方から夜にかけて産出され、深夜にもっとも高い数値を示し、朝になるとまったく産出されなくないのです。このことから、メラトニンは脳の睡眠中枢に作用する物質だと考えられています。朝になってメラトニンが産出されなくなるのは、睡眠に終わりを告げる合図なのでしょう。
このように、私たちの睡眠覚醒リズムは、外界の環境変化と脳内にある調整機構と、両方の作用を受けながら微妙なバランスで成り立っているのです。
理想的な睡眠時間の指標として、昔から「八時間睡眠」という言葉が使われてきました。八時間といえば、一日24時間の三分の一。毎日きちんと理想どおりの睡眠をとるとすれば、私たちは長い人生の三分の一を眠って過ごすことになります。
人間はなぜそれほど長く眠るのか。これは、生命現象に関するひとつの究極の問いでもあります。睡眠研究に携わる研究者のすべてが、この問いに対する答えを求めて研究を続けてきたと言ってもいいでしょう。眠りに関しては、いまだに完全な意味が解明されていません。しかし眠りの研究は、近年、著しく進歩しつつある研究分野のひとつでもあり、わかってきたこともたくさんあります。
まず睡眠とは、ゆったりと身体を横たえ、重力に逆らわない状態で静かに過ごす時間です。しかし、脳や身体が完全に活動を停止してしまうわけではありません。その間に、生命維持に必要なさまざまな仕事がなされる時間でもあります。
深い睡眠中には成長ホルモンが分泌され、子どもの身体は成長します。「寝る子は育つ」はほんとうです。大人の場合は、このホルモンが身体の組織の新陳代謝や再生を促すため、疲労回復をもたらします。「寝不足だと肌がボロボロ」というのも真実です。
睡眠は、免疫機能とも関連があります。風邪をひいたら、眠っても眠っても、まだ眠たいものでしょう。これは、免疫機能を担当する白血球のなかにあるサイトカインという成分のしわざです。ウィルスの増殖を抑え、体力の回復を図るために、サイトカインが私たちの身
体を深く眠らせるよう働きかけているのです。
また睡眠中には、私たちの脳のなかで、きわめて重要な情報処埋かおこなわれています。日中に体験したこと、学習した内容を記憶として整理するわけです。学生時代、試験の前の晩に徹夜で勉強した記憶をおもちの方は多いでしょう。しかし、いくら知識や情報を詰め込んでも、それを記憶として脳に定着させ、活用するためには、十分な睡眠が必要です。
いずれも今では広く知られるようになった事実ですが、こうしたことも半世紀にわたる科学者たちの研究の産物です。現在では、睡眠研究は大きく基礎研究と臨床(医療)研究に分けられています。基礎研究における成果が、どんどん医療の現場に組み込まれていると言ってもいいでしょう。
睡眠研究の第一人者といえば、一九七〇年にアメリカのスタンフォード大学に世界初の睡眠障害センターを設立したウィリアム・C・デメント博士の名前があげられますが、彼の著書『ヒトはなぜ人生の3分のIも眠るのか?』(講談社)を読むと、一九五〇年代の睡眠科
学研究の黎明期から現在に至る経緯がとてもよくわかります。
後にパイオニアと呼ばれるようになった人々の発見や研究も、当時の一般常識では考えもつかない突飛な話として、なかなか認められないのは世の常です。デメント博±の研究も例外ではなく、文字どおり不眠不休でおこなった断眠実験の記録がついに実を結んだのは、良い時間がたってからのことでした。博士は後に睡眠研究に没頭した人生を振り返って「強迫観念に近いものがあった」と語っていますが、そうした情熱のおかげで、睡眠研究はここまで発展してきたのです。
さて、二一世紀型睡眠障害0代表としてよくあげられるのは、神経症性不眠症、睡眠覚醒リズム障害、睡眠時無呼吸症候群(SAS)などでしょう。どれも、少し前までは専門家だけが使う医学用語でしたが、ここ数年、一般の方々にもよく知られるようになってきまし
た。
とくにSASは、二000三年二月に山陽新幹線の運転士が居眠り運転によって事故を起こした際、居眠りの原因として指摘され、注目を浴びました。詳しい症状については後述しますが、簡単に言えば睡眠中、無意識のうちに何度も呼吸が止まってしまう病気であり、その影響で日中、強い眠気に襲われることかあります。
現実に、SASの診談を受ける患者は増加する一万です。日本では習慣にいびきをかく人が二000万人以上いると推算されていますが、そのうちの10パーセント、つまり200万人が潜在的なSAS患者であると言われているほどです。いびきなどは病気うちに入らないと思われるかもしれませんが、重症になると上気道抵抗症候群と呼ばれる症状を呈します。
一方、「睡眠不足」のなかには、単なる宵っ張りや、寝る前にコーヒーを飲みすぎたといった、さして深刻ではないものも含まれています。また、睡眠不足を訴える患者さんのなかには、実際には十分な睡眠をとっている0に、自分で「睡眠不足だ」と思い込んでいるだけの人もいます。
五年おきにNHKがおこなっている国民生活時間調査によれば、2000年の日本人の平均睡眠時間は七時間二三分。年代別に見ると、さすがに働き盛りの30代では六時間五七分、40代では六時間五九分ともっとも短くなっており、とくにこの世代の男性では約四人に一人が「自分は睡眠不足だ」と感じているようです。
もちろん、睡眠時間の平均値からすべての人々の睡眠の過不足を計ることはできませんし、どのくらいの睡眠が必要かは人によっても違います。しかし、平均六~七時間という睡眠時間は、極端に短いものではないでしょう。それでも多くの人たちが「睡眠不足だ」と感じてしまうのはなぜかといえば、睡眠の満足度が低いためです。「十分に眠った」という満足度を得るためには、睡眠時間の長短だけではなく、睡眠の質が問題なのです。裏返せば、現代人の多くは、睡眠のために十分な時間をかけながらも、質の点で満足度の低い眠りに甘んじているということになります。
もうひとつ、興味深い統計をご紹介しましょう。2003年にトイレタリー及び化粧品関運メーカーの花王がおこなった調査結果です。これは首都圏在住の20~40代の女性450人を対象にしたものですが、自分の睡眠に関して「満足」と答えた人は4六パーセント、「不満」と答えた人が54パーセントでした。さらに、「満足」と答えた人も含めて「不満要因はありませんか」と質問したところ、何らかの不満要因(複数回答)をもっていた人が86.2パーセント。もっとも多かったのは、やはり「睡眠時間が足りない」ですが、以下に「寝つきが悪い」「眠りが浅い」「夜中に何度も目が覚める」といった回答が並びます。
こうした結果をもとに分析をおこなったある精神科医は「女性の社会進出にともなって、睡眠に関しても男性並みにストレスをもつようになり、悩み考えごとをすることで、睡眠障害が出てきたようだ」と述べています。
ちょっと……、ちょっと待ってください。それではまるで、眠れないのはすべてストレスや悩みごと、考えごとのせいだというようなものではないですか。ほんとうにそうですか?寝つきが悪いにも、眠りが浅いも、夜中に目が覚めるのも、すべて精神的ストレスが原因なのですか?
そんなはずはありません。日中、強いストレスを受けて疲れているなら、人間の身体はその分だけ深い眠りを求めるはず。それでも眠れないときは何かほかに原因かおるはずです。
日本人の20パーセントが睡眠障害なら、アメリカではじつに40パーセントの人々が同様の障害をもつと言われます。アメリカの人口は約2億8000万人ですから、その40パーセントといえば約1億1200万人。いくら何でも多すぎるような気もしますが、素直に考えれば日本の全人口と同じくらいの人々が不眠を訴えていることになります。
そして、あの忌まわしい九・一一の同時多発テロの後、眠れないアメリカ人はさらに増えているようです。ニューヨーク在往二五年以上の知人によれば、「ぐっすり眠るためなら金に糸目をつけない人が増えている」といい、そこに「眠り売ります」を謳い文句にした一大快眠マーケットが誕生しました。
睡眠薬や睡眠改善薬をはじめとして、各種サプリメント、高級寝具、寝室専用の照明器具や空調装置、マッサージチェア、快い眠りを誘う音楽CD、ハーブティー、アイマスク、快眠ドリンクに快眠パジャマ、はては眠くなるスプレーから読んでいると眠くなる本ま……。
サービス産業においても、ホテルが「ちょこっとお昼寝コース」や「快眠サポートプラン」を売り出したり、社内にお昼寝専用スペースや仮眠用マッサージチェアを設置する企業が登場したり……。とにかく「グッドースリープ」なる枕詞をつけた新商品や新型サービスは後
を絶たないといいます。
アメリカの流行は、たいてい数年遅れで日本にも押し寄せてくるもの。その意味で、2003年はいよいよ日本でも快眠市場の幕が開いた年だったと言えるかもしれません。
その象徴が、四月にエスエス製薬が販売開始した「ドリェル」でしょう。これは、医師の処方箋なしで購入できる国内初の睡眠改善薬です。製薬業界では驚異的な大ヒットを記録し、初年度だけで25億円の売り上げを達成しました。同様の薬がアメリカでは150億円
市場と言われており、日本でも70億円は見込まれているそうですから、まだまだこれからといったところなのでしょう。
また、同年12月には「快眠コンソーシアム」という団体が設立されました。松下電工、エスエス製薬、パラマウントベッド、花王、グンゼほか九社が参加した一大異業種連合と発表されましたが、その目的が快眠産業の市場拡大にあることは明らかです。事実、松下電工の広報部では「寝具市場だけで一兆円、近い将来、快眠市場全体で三兆円の巨大市場に成長する可能性がある」と予測しています。
あらあら……、快眠産業の市場が拡大するって、眠れない人がますます増えるということなのでしょうか。少なくとも、こうした流れのなかにあって私たちがしっかり認識しておくべきなのは、先行するアメリカの状況を見るかぎり、いくら睡眠薬が売れても不眠人口は減っていないという事実です。
あなたはこれまでの人生において、一度でも真剣に枕について考えたことがありますか。今晩、あなたが大切な頭を預けようとしている、その枕が、あなたのひと晩の睡眠を、明日のための体力や精神力を、そしてこれからの長い人生まで左右する、きわめて重要なアイテムであることをご存じでしょうか。
正しい睡眠は、人間の心と身体の健康維持に不可欠です。現代人は「健康を手に入れるためなら死んでもいい」というほど、健康志向が強いように思います。禁煙やダイエットはもちろんのこと、自然食品やサプリメントの摂取に余念がなく、日曜日ともなればジョギングで汗を流し、スポーツクラブは体力維持を気づかう中高年の男女でいっぱいです。
しかし、そうした努力のほとんどは起きている間におこなうこと、つまり多くの方々は覚醒状態における健康づくりばかりを心がけているように思えてなりません。私は、そういう光景を目にするたびに、いてもたってもいられない気持ちになってしまいます。ほんとうは、正しい睡眠こそが大切なのに……。
近年の睡眠研究により、睡眠状態こそが心身の健康のカギを握っていることがわかってきました。枕の話を始める前に、まずは現代人の睡眠をめぐる状況や、睡眠のメカニズム、そしてなぜ心身の健康に正しい睡眠が必要なのかについてお話ししましょう。
2003年3月におこなわれた国際睡眠疫学調査によると、日本人の約20パーセントにあたる2400万人が睡眠障害に苦しんでいると言われます。毎晩毎晩、五人に一人が眠れぬ夜を過ごしているとすれば、たいへんな話です。インターネットをはじめとする新しいメディアや深夜営業の店舗やレストランが増え、昼夜の別のない二四時間稼動型社会とは、眠りたくても眠れない社会のことなのでしょうか。快適至便な人工環境において、人間は本来の生理的な能力や生活サイクルを失いかけているのかもしれません。
人間は、生きるためのもっとも基本的な感情である「情動」に基づいて、食べる、眠る、排泄する、そして子孫を残すための行動を起こします。
あなた白身の、最近の日常生活をちょっと振り返ってみてください。空腹を感じたら食べ、眠くなったら自然に眠るという生活をしていますか。十分な子孫を残すための性行動をしていますか。
現代社会においては、そんなあたりまえの行動にまで、社会的な条件や人間独特の都合によって、さまざまな制約がかかっているようです。おなかがすいたら食べる、眠くなったら眠るというのは生き物として当然な欲求なのに、無理やり合目的な理屈をつけて我慢してしまうことが多いのです。
なにも21世紀の現在、原始人のような生活をしろと言うつもりはありません。快適さや合理性を追求するごとがすべて悪いと言うつもりもありません。けれど、「動物である人間」としての、自分本来の姿を忘れないでください。疲れたら休息する、夜になったら十分な睡 眠をとる。それでこそ、私たちの心身は健全な状態に保たれ、新たな活力が満ちてくるのです。